本日はイベント枠、AI枠です。
前回に引きつづき筆者がSIGGAPH2025で受けてきた基調講演を筆者の解釈でまとめていっています。
前回はアートの定義について触れ、現代議論されているAIアートの問題について触れました。
〇アートの定義
Artは日本において現代では「美術」を指す言葉として広く使用されています。しかしながら元々は技法・技術・知識という意味を持っていました(ラテン語のArsおよびギリシア語のTechne)。
Hertzmann博士は、人類史におけるアートは技術と密接にかかわっていると述べています。その上で、アートとは人間と人間のコミュニケーション活動であり、社会的な行動であって、歴史的に定義が変わるものであるとしています。これらから博士は、アートを社会的エージェントによって構成されたもの、すなわち『アートは人間による社会活動である』と定義しています。
〇新技術とアートにおける論争
Hertzmann博士は「現代のAIアートによるアート論争は過去にも類似する反応がみられた。」と述べています。
人類史における最古の絵はフランス、ラスコー洞窟の壁画とされています。 土や血などの顔料を使用して描かれています。フラスコが登場したのはそれから 15世紀になると油彩が生まれました。この際に画家のミケランジェロは「油絵を使うのはアマチュアだ。簡単すぎる」と述べたとされています。しかし現代でもフラスコは一般的な絵画のカテゴリーで残っています。

また、もっと現代を見ると写真の登場があげられます。それまで自画像を含め見たものの時間をとどめるという目的で絵が描かれていました。しかし写真の登場によりそれらが簡単に出来てしまう時代が到来しました。1839年、フランス政府によるダゲレオタイプの公式発表に際し、当時の著名な歴史画家ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)が発したとされる言葉は、技術的失業への恐怖を象徴するフレーズとして"From today, painting is dead!"(今日より、絵画は死んだ!)と言い、イギリスのロマン派の巨匠、J.M.W. ターナーは「This is the end of Art. I am glad I have had my day.(これは芸術の終わりだ。私の時代が終わった後でよかった。)」と述べたとされています。
つまり画家という仕事の存亡の危機であったということです。しかしながら現代でも画家という職業は残っています。
このように技術が登場するとそのたびに既存のアート業界からは論争が起こっていました。
しかしながらそのたびにすみわけを行って、新たな技術を使ったアートと既存のアートとして残り続けてきたのです。実際にカメラが登場したことにより肖像画という仕事はなくなったかに見えて、観光地などで規模は小さいものの残り続けています。当然多くの波や時代を乗り越えてわずかに残った"それ"という言い方もできますが、完全に滅んではいないのは事実で、むしろカメラに比べ主体性が入り、書き手の感性が出るという意味で芸術に昇華されたという見方もあります。
筆者の知人は「アートとはオワコンである」と述べています。 かつて生活の中心にあり、時代・技術の進化と共に形を変え使われなくなっていった者たちに再び注目して価値を与える。アート活動にも様々な定義があり、そこにこそアートがアートである価値がありますが、新しい技術が生まれたことによって"オワコン"となっても形を変えて残り続けるものこそアートと呼べるのかもしれません。
〇時代におけるアートの再定義
Hearzman博士はこういったアート論争が発生した際は時代に応じたアートの再定義が必要であり、異端は常にアーティストに新たな表現可能性を提示すると述べています。
例えば油彩が生まれた時代においてそれまでのフレスコに対して画家のハードルを下げたことにより新規参入者や表現の幅が広がりました。写真に対しても同様であり、写真はあくまでその場の光をとらえるのみであるにもかかわらず、絵は非現実的な作品を作れるため、写真を使ってリアルな画を作るという参入の幅を広げ、アーティストに対して写真を撮るだけでなく、技術は「芸術」を殺しはしなかったが、特定の「市場」と「技能」を無効化したと言えます。
また、写真史における初期の写真技術を構築した一人とされているバヤールは写真技術の発表に関して自身の受けた不当な扱いによって写真に対するネガティブキャンペーンの一環として自身が溺死したように見える合成写真を作成しました。これが皮肉にも世界初の偽造写真であり、合成写真とされています。(1840年)
結局はアートが「人間」による活動である定義の証拠とも言えます。
〇現代におけるAIアートの再定義
現代AIイラストなどの登場によって非常に短時間である程度以上の高いクオリティの絵が作れてしまう。 その2で定義したようにAIアート自体はアートではないです。
しかし、これを使って社会的エージェントの主体となる活動をすることはアートと呼べます。例えばそれらをインデックス化し、映像作品に取り入れる。もしくは自身のファインなアート活動に組み込む、これは紛れもないアートと呼べるでしょう。
現代のAIアートをめぐる議論は、歴史上、新しい技術が登場した際に起きたことの繰り返しであり、アートの定義を拡張し、アーティストに新たな表現手段を与えるツールであるが、「良い絵(リアルな画)を作ること」がアートではないでしょう。アートとは単なる画像の生成ではなく、人間の表現や意図、経験が重要であり社会的な行動である。
芸術史を学ぶとこの辺りの芸術的概念が登場します。
我々はアートを他者と共有し、語り合い、価値を教え、社会的な関係性の中で楽しむことができるのは「人々がアートを作るから」であります。
コンピューターはツール(道具)であり、人間では無ければもちろんアーティストではない。よってコンピューターアート≠アートである。ということになります。